遅刻の帝王の部屋 : 妖しい日記 : 2010年1月 : 2010年1月22日 Home | 日記 | BBS | ラジオ | イベント | 技術情報 | リンク | 検索

妖しい日記

2010年1月のバックナンバーより

2010年1月の日記 / 最新の日記 / バックナンバーメニュー

12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31

1・22
早朝、実家からメールが届いて、父親の件で病院からすぐ来るように連絡があったとか。 私は別に来なくてもいいと言われましたが、会社はお休みして、病院に向かうことにしました。 でも、朝なので渋滞していたりして、 病院に着くのが午前8時45分ぐらいになってしまいました。 母親や妹は1時間前には着いていたようですが・・・。 CCUでモニタを見たら、血圧が40ぐらいに下がっていたので、本当に危険な状況のようです。 それから、エレベーターホールのところで家族とずっと待っていたのですが、 時間の経つのがとても長かったです。

途中、何度か様子を見に行こうとしたのですが、 何やら看護士さんが慌ただしい様子で近づけず。 結局、午前10時15分ぐらいに呼ばれましたが、部屋の中は静かな状態になっていました。 モニタを見ると、血圧も脈も「0」の表示です。 先生が診察をして、午前10時20分に死亡確認となりました。 結局、意識は戻らないままでした・・・。 これから、体につながっている管を外したり、いろいろ準備するのに1時間以上かかるそうで、 再び待ち時間です。 途中で、主治医の先生からの経過説明がありましたが、 心筋梗塞は手術で快復したものの、菌に体を冒され、それが全身に回ってしまったのだとか。 死因は敗血症になるのだそうです。

待っている間に、病院の食堂に行ってお昼を食べましたが、 メニューが微妙だったので、全員、ラーメンになってしまいました。 ところで、ここの食堂は来客用ですが、衝立の向こう側は職員用なのだとか。 ナースさんが何人も見えたので非常に気になったのですが、さすがにこんな時なので・・・。 ちなみに、父親はもう10年以上、実家にはほとんどおらず、 ずっと愛人 (?) の家で暮らしていたそうです。 今日も、そちら側の関係者の方も一緒に来ていましたが、もちろん私は初めてお会いしました。 妹がどんな様子だったのかといろいろ聞いていましたが、 小さい子の面倒をよく見てあげたりしていたらしいです。ちょっと想像がつかないです。

準備が出来たということで、CCUに再度行き、荷物も全部引き取って、地下の霊安室に移動。 しばらくして葬儀屋さんが到着したので、霊柩車と妹の車でセレモニーホールに移動しました。 打ち合わせの結果、火葬場の都合で、葬儀の明後日の朝からということになりました。 ちなみに、担当の方は妹の恋人の友人らしく、いろいろ手配してくれたようです。 あと、「歯」の忘れ物があったということで、病院で母親が取りに行っている間に、 会社に電話しました。上司に伝えたら、さすがに慌てていましたよ・・・。 その後も、お寺に行ったり、礼服を買ったり、あっという間の一日でした。 夕方に会社からも電話がかかってきましたが、 さすがに式への出席はお断りさせていただきました。 一応、弔電だけは送っていただけるそうです。

妹はこれから恋人と会うらしいので、 私は母親と実家の近くのレストランで夕食をしてから、自宅に戻ってきました。 心配をかけてしまったのでちぃちゃんに電話して、 「まよなからじお120」も聞きましたが、途中で寝てしまいました。 さすがに、今日は朝からいろいろとあって、しかも初めてのことだらけだったので・・・。


2010年1月の日記 / 最新の日記 / バックナンバーメニュー